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内面から見出すのは習慣の中で

私(村田)は内面から成功する独創性を重視する傾向といいますか、その志向がたぶん強いほうなのかなと思います。

昔から、内面を見つめるのが癖になっていて、それに添って生きようとする志向が根強いなぁと思う時もあります。

内面を見つめるなんて言っても、大したことはしていないのですが、朝、目が覚めて起き出すまで一時間ぐらいはベッドでゴロゴロしているというものが主です。

だらしないんじゃないか…とか思うときもありましたが、ある有名な大学教授で著名人の人がそうやってるとテレビで見た20代の時から、それでいいんだと思うようにして続けています。

ベッドの上でスマホで書いたり、軽くリサーチをしたり、パラパラ見る読書したり。

他にも、Googleなども取り入れているマインドフルネスは、とても有名ですし、内観法やストレングスファインダー、才能心理学、コーチング、カウンセリング心理学、ポジティブ心理学、フロー理論、サイグラム、ウェルスダイナミクス…etc

色々と気になってリサーチしたり、本も読んだり、中には継続的に講座やプログラム、セッションに参加してきたものもあります。

これらのリサーチや学びは今後も折に触れて続けていくだろうと思いますが、あまりスピスピしたスピリチュアル的なものは、感覚的に好みません。

精神世界系まで行ってしまうと、宗教も含めて、そういう中でほんものと言えるのは、きっと極々一部に限られるのだろうとも感じます。

いずれにしても、人それぞれで合う方法をしたらいいと思いますが、私が重視しているのは内面深くから沸き起こるパッションによって突き動かされる何かです。

 

何のために自分のリソースを使うか?

時間は命で限られたもの。

何に命を使うのか?(使命と書きますね)

何より、自分はどういう時間の使い方に楽しさを感じるか?

さらにさらには、何のために生きて、何のために仕事するか?

 

内観も大事ですし、外から観た世界、外観も大事です。つまり、内観×外観です。

まず、内観から見出だして、それを見定める精度は、とてもとても重要だと感じますし、精度があやふやだと気持ち悪くなります。

その精度を得るには、外観も見ていかないと独り善がりになりかねないかもしれませんね。

何も座禅を組んだり、しかめっ面して眉間にシワを寄せて考えるのも良いでしょうが、そればかりでもないと思います。

例え、だらしなく?見えたとしてもリラックスしていることが大事で、それはマインドフルネスにも通じますね。

ベッドでゴロゴロに限らず入浴中に気づきや閃きが起こったり、外を歩いていたり、今はコロナでしにくいですが長距離移動をしている時に、内面から見えてくる沢山のものたち…。

それらを大切にするために心の整え方も大事で、私は室内をキレイに保つことがルーティンの1つです。

他にもルーティンの1つで欠かせないもので言えば、メモ魔であるということでスマホはいつも傍に手放せないですね。

こう書いていて、歩くために大事な土台ってあるよなぁと思い出しました。

足元がぬかるんでいたり、ドロドロしていたら歩きにくいことこの上なくて、滑って足元を掬われそう…。

ノイズまみれで三半規管がおかしくなりそうでも困ります。シンプルにリラックス出来る状態でいることも心がけています。

シンプルにするためには時と場合によっては交通整理や断捨離も必要で大変なときがあったとしても、それが自分のためになるかどうか、スティーブ・ジョブズの言葉でも残っていたように、他人の人生を生きている時間はないのです。

与えることは大事ですが、奪われるばかりのギバー(人に惜しみなく与える人)になるわけには行かないものです。

もっとも成功するのもギバー(人に惜しみなく与える人)ですが、それは「長期的な人脈を築き、利益のパイを増やす働き方をし、他者の才能を信じ育て、信望を元にした影響力を発揮することができるから」です。

同時に「自らの利益にも関心を寄せる」からであり、「人によってギブ・アンド・テイクのやり方を使い分ける」からです。

惜しみなく与えるとは言っても、単に一方的に与えるだけ・背負うだけといった自己犠牲になってしまったら、得てして他人である相手のためにもなりません。

(この辺りの考え方はビジネスパーソンの世界的ロングセラー『GIVE & TAKE「与える人」こそ成功する時代』が参考になります。)

どこからでも楽しまなきゃ、人生損ですし、楽しむには自分軸の状態がどうなっているかの観察が大事です。

マインドセット的に言うなら、フローな状態でいることが良質なパフォーマンスを発揮しやすいですから、どうすればフローでいられるかというのも外せないんですよね。

それは、きっと誰しもがあるように、自分の中にもあるドロドロした感情から、どれだけ自由に解き放たれているかも重要な土台であるということです。

 

精度の行き先を見誤らないために。

 

そのために時には自分との会話、セルフ傾聴などを始めとしたセルフトークもすることがあります。

それには、それをするために伴った基本原則や方法も低くないレベルで、きっちり学び続けてきています。

私は独創性を優先しますが、そのためにも原理原則や相応のレベルの方法は外せないものとして重視します。

もっと言えば、独創性もさることながら、そのためにも守破離は重視します。

原理原則は自然の法則のようなもので、人の心や社会にも同様に法則が作用しているというのは、常日頃、ふと感じるときがあります。

そういうときに、あ、(原理原則を)多少なりとも学んできてて良かったなとも感じますし、すべてを熟知しているわけでもないですから、また何かを学べる気になれそうだなとも思えます。

 

追伸

 

内面から沸き起こるもの、それを深めたり精度を研ぎ澄ませていくことに楽しさを感じる、何のために、なぜ(why)しているのか?

そこにはゴールなんて、ないのだと思います。

なぜ、それをするのか?

そのWhyとは、その人にとって何か?

ゴールのない価値を追い求める、近づこうとする、それがvalueで理念というものです。

せっかく起業家として仕事をするなら、その根幹を見つめ続けて、そのWhyに基づいたアクションを続ける人と繋がっていたいと願います。