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スーパーマンではないけれど進んでいく

今回は前回の記事の続きですので、前回の記事『トンネルに居るほど怖く感じる、なら…』をご一読いただいてから、以下をお読みいただくと齟齬が減らせて良いかと思います。

 

○ 何てことなくなるルーティン

 

前回の記事の他にも、心の整理に繋がるような毎日のルーティンを持つといいですよね。

私なら室内をキレイに保つことや整理整頓、使わないものの断捨離、余計なものを溜め込まないように必要最小限のものしか買わない倹約などなど、全ては書きませんが自然と続けているものがあります。

こういったことは、いわば何てことないことですが、今となっては続けないと気持ち悪くなりますので自ずと続けられています。

ミニマリストにまでしてしまうと利便性が悪くなりそうなので、そこまではしたくないと個人的には思っていますが、室内は視覚的にさっぱり目にしていくほうを好んでいます。

他にも、もっと内面を整理したり見つめたりするための習慣も大事で、それはこちらの過去記事で触れました。

内面から見出すのは習慣の中で

 

思考法や、内面を見つめていく方法などは様々なものが出回っていて、それに凝るのもいいかもしれませんが、目的は進むこととして私は捉えています。

そこで、学びに埋没しないように、あくまで実践思考で進めることを優先する…必要以上に学びすぎない、それもまたシンプル思考だと思います。

きっと、起業家として行きている人は知識・情報(インフォメーション)を蓄えたい以上に、それを知恵(インテリジェンス)として日々に活かしたいから学ぶはずです。

学びが目的なのではなく、その先にある世界に行きたいという現実的な効果を求めて、学びのための学びよりも、生きるための学びではないでしょうか。

そう考えるとインフォメーションは、それ自体ではあまり意味がなく、インフォメーションを組み立てて、どのように活用するかインテリジェンスのほうがずっと大事ということになります。

 

○ 例え、蟻のように視えたとしても…

 

「ベイビーステップ」と聞くと、もしかしたら、人によっては蟻のように視えてもどかしく思えるかもしれません。もし、蟻のように視えたとしても、何でも鷲のように高みから行けるものでもないと私は実感しているので書いてみました。

例えば、気にかかることは全て片付けていきたいと、何でも一気に出来るなら自分は気持ちいいかもしれませんが、もし、それで周りが見えなくなっていたら、周りの人の気持ちはどうでしょうか?

人はロボットでもなければサイボーグでもありません。

猪突猛進も良いですが、唯我独尊で、しまいには痛いなと思われたら空回りではないでしょうか。

そのようにならないために、鷲の目を持ちつつ、蟻の目も持つ、さらには深さを観ていく魚の眼を持つといいとも言われています。

なぜか空回りしてばかりいる人は痛くても素直に現状を見つめること、自覚することから始められたら良いと思います。成長には時に痛みが伴います。

目標が明確でないと、どこに向かっていくのか分からなくなりますので目標設定は必要ですが、何でも一気にできるわけではないので、月次目標の設定など短期への分解もポイントですよね。

それをディリーに分解して落とし込むことも実践思考ですし、ディリーで達成できなかったことがあってもベイビーステップ視点で自分を認めてあげることも原動力のために大事です。

鷲の眼で中期・長期などのスパンでの目標設定も必要ですが、物事を進めるには、それが一人で出来ないことならば尚のこと、周囲との調和は欠かせません。

目標などというものは「目的に近づくために」あるので、何のための目的かという視点を見失わないようにしたいものです。そこには常に暖かい心が伴っていてこそだと思います。

まず、目標と聞くと数字などで表せられる「定量的」なものを思い浮かべやすいかと思います。

例えば、今期の売上目標などですね。

量で表されるものなので「定量的」というのに対して、一概に量で表せられないクオリティ(質)などを「定性的な目標」と言われます。

そして、売上などの定量目標も欠かせませんが、お金が人生において最重要という人でもなければ、人生において最も大切なのは、この定性的な目標に多くがあるのではないでしょうか。

つまり、目的の実現のためには定性目標として、人間力を高めたり人間関係を良くしたりする習慣づけが肝要なのではないか…と思えるところです。

そういった定性目標のために、それこそ1ヶ月に1つ程度の新しい習慣付けが無理がないところと思います。

一滴の水は石をも穿つでも、それで進めるなら、大きいことばかり考えて堂々巡りして進めずに自信を失くすよりは、ずっといいじゃないかと私は思います。

アメリカン・ドリームのように一夜で世界が変わるようなことばかり期待していても、根っこが農耕民族である日本の国で、本当にそれは得られるでしょうか?

また得られたとしても、それはいつまで現実的に自他共に持続するでしょうか?

ベイビーステップからでも、自分で自分に寄り添ってあげる心が大切だと思います。

それと目的の履き違えというのも起こりがちかもしれません。

言うまでもありませんが、目的を現実にしていくための手段・方法は、あくまで手段・方法です。

つい、それを「目的」に履き違えないよう注意したいものです。

 

○ ふわふわ浮いている雲は食べれない

 

ふわふわ浮いている雲は綿菓子のように美味しそうに視えても食べれないし、そもそも手に触れることすら出来ません。

もし、ベイビーステップをスキップして何でも高みから言っていては、どんなに素晴らしい世界がその先にあるとしても、断崖絶壁のようになってしまうのではないでしょうか。

高みから言っている方は気持ち良いのか、正論と思っているのかもしれません。

しかし、言われる方は過剰なストレスとなっていき、私もその痛みは忘れられないものもあります。

そこに寄り添いはなくなっていきますし、どこか殺伐としている感覚を受けることもあります。実際は独り善がり故に偏った思いやりになっているケースも少なくありません。

そこが読み取れる感性は見失いたくないものです。

寄り添いがなく高みに偏った視点からだけ物事を捉えて言っていては、今のご時世でしたら高次パワハラからのマウンティングにもなりかねません。

パワハラというのは理不尽だからハラスメントと言われるわけですが、理不尽をしているほうは、理不尽に気が付けていない、自覚がないからしてしまう場合も多いようです。

よく「意識高い系はうっとうしい」という言葉もSNSなどで見かけることがありますが、うっとうしいと思われることしていませんか?

それを、そう思う相手のせいにばかりしていませんか?

受け取る側の捉え方というのもありつつも他責思考ではマウンティングですし、いつまでもうまくいかないものです。そもそも本人以外、心地よくすらない自己満足の域です。

そのようなケースでは本人が醸し出すものとギャップがあるから、どこか胡散臭くて「うっとうしい」と思われるわけです。

または寄り添っていないから「身勝手な人」、「自己満足のために、私を利用している」と感じられても「うっとうしい」となります。

ローマを創りたいわけではないにしても、ローマは一日にして成らずです。

そして、かつてのローマ帝国は選民思想が根強く、支配的であるが故に滅びたのではないでしょうか。

見渡す鷲の目は大事ですが、同時に蟻のように地に足を付ける、提供したり表現する側は他責思考よりも、まず自分を変える視点を優先する。

その視点で周りを心から観ていく、心からの尊重による寄り添い思考が、とてもとても大事と私は感じます。

 

過剰に夢ばかり語って夢見る夢子ちゃんになっていても、現実とのギャップを埋めていく方策を取らなければ、いつまでも「夢」は「夢」のままで幻想のまま人生が過ぎてしまいます。

ふわふわ浮いている雲のようで、雲が増えていくと、いずれ重く淀んできて雨になります。

それもまた自然の法則の1つですね。

「夢」を「現実」にするのは、そこに現実にするための具体的で適切なアクション、それ以前に人間性やマインドセット、人格などが伴って、なるべくしてなると、私は意識しています。

そのためにパラダイムシフトが必要ならば、こちらの過去記事に書いたことも踏まえながらベイビーステップからでも変化させていくと、例え、苦しくても楽しい実感(苦楽しい)が得られていくと思います。

中小企業経営者や起業家がブレイクスルーを狙うとは…

 

継続は力なりで、うまくいく人とそうでない人の違いは、まず、その意識とともに継続力の積み上げ方を知っているかどうか、です。

知っていて実際に行動して続けているかどうか、そのために積み上げた先の世界が視えているかどうかだと感じます。

最初は小さな違いでも継続していくことにより大きな違いとなってくる姿は、まさしく千里の道も一歩からを感じるところですね。

そうは分かっていても、それでも出来ないという場合は、また他に理由や要因があったりします。

 

○ 目的の意味・価値に向けて進むということ

 

そのために時には、ノイズに対して交通整理することも断舎離することも私はありますが、その際に、そうすることにメンタルブレーキがかからないかと言えば、決してそうではありません。

実にウダウダとブレーキをかけてしまう時もありますし、それが無駄とは思いません。

そうして悩みに悩んだとしても、目的に向けて進む意味、価値は何だったのかを思い返しながら、その価値を損なわないように考えます。

ここは起業家・経営者、リーダーにとって最重要だと思いますが、何があってもレベルの強い想いが湧き出てこない起業ならば、私はオススメしません。

ここで言う想いとは、自らの奥底から湧き出てくる想いです。

なぜ(Why)、それをするのかのリアルな内訳です。

大げさに聞こえるかどうかは人によるところでしょうが、命そのもの、人生全てをかけてでも行きたいところです。そこまで思えてしまうには、それなりの経緯が私にもあります。

それらの強弱は測れませんし人によるところだとしても、きっと、根本から湧き出てくるものがないと何かあったら頓挫しやすいのではないかと思えます。

そして、その程度なら、もし、何かあったら他者に迷惑をかけたままで終わる可能性もあるのではないかと思えます。

そこに本当の価値は、どれほどあるのでしょうか?

かつて、若手起業家向けの異業種交流会を複数立ち上げたり、熟練の中小企業の経営者向けの交流会の役員もしていた際にも、残念ながら廃業される方は色々と見てくることがありました。

私が言うまでもなく、起業率より廃業率のほうが高いという統計も出ていますが、廃業の理由は様々ですし、想いが強ければそれで何でもOKという意味でもありません。

ただ、ここで言いたいのは例え漠然とした不安があっても、想いが深いほど不安要素を見つめていく気概にもなるのではないか、ということです。

そのために必要な方向性ややり方も、探して身につけて行ける原動力になるのではないかと思えます。