日本における結婚の系譜と実存的深層:生身の他者と結び合う生への臨床社会学的考究

ー 目 次 ー

序論:机上の空論を排した「生」の営みとしての結婚

結婚とは、役所に書類を提出して戸籍上の記号を書き換えるだけの法的手続きでも、ロマンチックな恋愛感情の永続を無邪気に信じ込むファンタジーでもない。それは、全く異なる背景、異なる肉体、そして予測不能な心を持った二人の生身の人間が、日々の極めて地味で、ときに泥臭い生活の現場を共同で回し続ける、極めて現実的な「生存保障システム」である 1

現代の日本社会において、結婚を巡る価値観はかつてないほどに多様化し、個人化が進んでいる 2。生き方の選択肢が増大した今、あえて「他人」と生活を一つにする決断を下すことの本当の意味が、生活者の実感として改めて問い直されている 2。机の上の理論を語るだけでは、日々変化する夫婦関係のリアルな摩擦や、未婚化が進む社会の構造的な閉塞感を紐解くことはできない。

本報告書では、古代から現代に至る日本における婚姻制度の歴史的変遷を辿るとともに、少子高齢化・未婚化をもたらす構造的・経済的要因、法律婚と事実婚が内包する生活のリアリティ、愛着理論や他者論に基づく関係性のダイナミズム、そして神道・仏教の精神性に流れる「結び」と「縁」の本質について、当事者が呼吸する現実の温度感を大切にしながら、網羅的かつ深く考究する。

 

歴史的人類学から辿る居住形態の変遷と「家」の変容

日本の婚姻制度は、その時々の政治権力の構造、経済的生産体制、そして家族観の変容に伴い、ダイナミックに姿を変えてきた 5。居住形態という人類学的な指標を切り口にすると、その変遷は「別居(訪婚)」から「妻方同居(妻方居住婚)」、そして「夫方同居(夫方居住婚)」へと明確な段階を経て変化してきたことが浮き彫りになる 8

古代の日本では、男女が強固な制度に縛られることなく結びつく形態が一般的であり、生まれた子どもは母親の生家で育てられる「母系社会」を内包していた 6。この時代は、夫が妻の家へ夜間のみ通い、昼間は自分の生家で生活する「妻問婚(訪婚・通い婚)」が主流であった 5

平安時代に入ると、この訪婚形態は徐々に「婿入婚(婿取婚)」へと移行を始める 7。夫が妻の家に住み着き、その経済的基盤に依存するこの居住形態は、藤原氏が天皇の外祖父として政治的実権を握る「外戚政策」の強固な基盤となった 8。平安中期の貴族社会における婚姻儀式(「露顕」や「三日餅」)は、男性が妻の家族に公式に受け入れられたことを確認するための重要な社会的通過儀礼であった 7

しかし、中世(鎌倉時代から室町時代)にかけて武士階級が台頭し、父系的な「家」の継承や軍事的な結合が重視されるようになると、婚姻形態は劇的な変化を遂げる 6。母系型家族の解体に伴い、絶対的な父権を背景とした「嫁入婚(嫁取婚・夫方居住婚)」が広まっていった 7。室町時代には儀式化された結婚式が一般的になり、「家と家との結びつき」としての婚姻が社会的に定着した 6

江戸時代においては、支配階級である武家と、被支配階級である庶民との間で婚姻形態に大きな格差が存在した 5。武家においては主君の許可を必要とする厳格な届出制が敷かれていたのに対し、下層庶民の間では公的な命令や許可を伴わない比較的自由な婚姻と離婚が行われていた 5

現代日本文学においても、明治以降の近代家族制度がもたらした「個人の自我」と「家制度」との相克は、重要なテーマとして繰り返し描かれてきた 10。芥川龍之介をはじめとする近代作家たちの私小説や苦悩の軌跡には、伝統的な婚姻の枠組みに回収されきれない個人の内面的葛藤と、生身の他者と結ばれることへの根源的な不安が色濃く反映されている 10

 

時代区分

主要な婚姻・居住形態

家族原理と社会的背景

関連する制度・儀礼的特徴

古代〜平安前期

妻問婚(訪婚・通い婚) 8

男女が別居。子どもは母方の生家で養育される母系社会 6

制度的拘束が緩やかで、男女の結びつきは比較的自由 6

平安中期

婿入婚(妻方居住婚) 8

夫が妻の家に同居する。経済・生活基盤は妻側が主導 7

藤原氏の外戚政治の基盤。露顕や三日餅などの婿取り儀礼 7

平安後期〜鎌倉

移行期(新処居住の混在) 8

妻方居住から、一定期間後に独立するか夫方へ移動する 7

武士階級の台頭に伴う、母系原理から父系原理への過渡期 7

室町〜江戸

嫁入婚(夫方居住婚) 8

妻が夫の「家」に入り、夫の親族と同居する父系優先 6

家格を重視した武家法。庶民層における比較的柔軟な婚姻 5

明治以降

家制度下の法律婚 6

明治民法に基づき、「家」の戸主による強力な統制が完了

皇族・公家・士族・平民の身分間通婚制限の撤廃と平準化 5

このように、日本における「結婚」とは、個人の主体的意思のみによって成立するものではなく、時代の生存戦略や共同体の要請によってその居住形態や支配構造を規定されてきた歴史がある 5

 

未婚化・少子化の構造的要因:現代日本社会が抱える歪みと生存コスト

現代の日本社会における「未婚化」および「晩婚化」の進行は、単なる若者の心理的な「結婚離れ」といった言説に留まるものではなく、社会の構造的欠陥が生み出した必然的な帰結である 3。1970年代半ば以降に始まった出生率の低下は、初婚行動そのものの地殻変動(未婚化)に深く起因している 11

生活者の視点から未婚化を加速させる具体的なボトルネックを整理すると、以下の3つの生活の不条理が浮かび上がる。

 

① 働き方と「共働き社会への移行」の摩擦

欧米諸国が共働き社会へのシフトを円滑に進めることで出生率の維持・回復に成功したのに対し、日本は「女性の社会進出」と「固定的な男女の役割分業を前提とした企業風土」との間で深刻な機能不全を引き起こしている 3。 長時間労働や過酷な通勤環境を強いる雇用慣行は、女性に対してキャリア形成と家庭維持の二者択一を迫ることとなった 3。結果として、結婚・出産に伴う女性側の「機会費用(失うキャリアや生涯賃金)」が急激に高まり、婚姻の意思決定を著しく阻害している 3

 

② 世帯形成に伴う生活水準の低下(パラサイト・シングルの選択)

都市部を中心に、成人後も親と同居を続ける単身者が高水準で存在している 3。これは、不安定な若年雇用のなかで、自立して新たな世帯を形成するよりも、実家に留まることで「結婚前の高い生活水準」を維持しようとする、生活者としての防衛策でもある 3。経済的な自立に対するためらいや、結婚による生活水準の急落への恐怖が、婚姻への最初の一歩を躊躇させている 3

 

③ 孤立する子育て環境と「子どもを持つ意義」の変容

家事サービスの外部化や性の自由化が進んだ現代において、性や生活利便性のために結婚するインセンティブは低下している 3。その一方で、社会的な子育て支援の不足や、いわゆる「ワンオペ育児」がもたらす母親の圧倒的な孤立感や孤独感、そして高齢出産に対する不安は増大している 3。子どもを持つこと自体が、かつての「家や未来を繋ぐ喜び」から、多大なコストと労働負担を伴う「リスク」へと変容してしまっている現実がある 3

 

人口動態・社会意識指標

過去・現状の数値

将来推計(2050年)

生活者意識と構造的背景

年間出生数 14

年間約120万人規模

年間約67万人程度(ほぼ半減)

育児と仕事の両立負担、経済的不安の常態化 3

独身者の希望ライフコース 15

女性:「両立コース」が初めて最多となる

男性:パートナーに「両立コース」を望む割合が女性の希望を上回る

共働きを前提とするが、雇用慣行がその両立を阻む 3

未婚化・晩婚化の要因 3

個人の多様な価値観の表れ

不安の固定化による現状維持志向

独身の自由への欲求と、生活自立に対するためらい 3

このような構造的背景のなかで、若年層は「一人で生きていくことの気楽さと不安」と「二人で生きていくことの重荷と温もり」の狭間で、極めて現実的な生存計算を行っている 1

 

制度の選択と生活のリアリティ:法律婚・事実婚・同棲の深層

関係性を公的にどう定義するかという選択は、当事者が病の床に伏したときや、失業、相続といった「もしも」の人生の崖っぷちに立たされたときに、その輪郭を極めて鮮明にする 2。法律婚、事実婚、そして同棲の3つの関係性には、社会的・経済的な安定性と引き換えにするコストの非対称性が存在する 2

 

比較項目

法律婚(婚姻届の提出)

事実婚(実態を伴う共同生活)

同棲(単なる共同居住)

法的な身分保障 2

完備(国家や民法が関係性を強力に裏付ける)

限定的(個別の意思確認や公正証書が必要)

ほぼ皆無(原則として他人の共同生活)

相続権の有無 2

原則として配偶者に自動的に認められる

原則として認められない(遺言の整備が必要)

認められない

税制・社会保険 2

配偶者控除、配偶者の扶養などの優遇措置が充実

自治体や企業の個別規程により、対応に大きな差がある

優遇なし(完全に個別の経済主体)

医療同意権 2

緊急時の医療行為同意が当然に認められる

医療機関の裁量による(公正証書等がないと難航)

原則認められない(実家の親族が優先される)

社会的な認知度 2

最も摩擦が少なく、説明コストが低い

受容は広がりつつあるが、職場や親族間で説明が必要

家族としてはみなされず、賃貸契約等で不利になることも

改姓の義務 2

夫婦同姓の義務(どちらか一方が姓を変更する)

生来の姓を維持できる(キャリアの断絶を防ぐ)

改姓の必要は一切ない

 

この比較から浮かび上がる本当のところは、法律婚とは「万が一の事態が起きた瞬間に、国家が自動的に起動する強固なセーフティネット」を、改姓手続きや親族関係の引き受けというコストを支払って購入する行為である、という点である 2

しかし、実際に法律婚を始め、同じ屋根の下で生活を回し始めた当事者たちが直面するのは、こうした法的な枠組み以上に、日々の微細で地味な「妥協の連続」である 16

 

夫婦生活における「妥協」の温度感

ゼクシィの調査によると、結婚した男女のうち、相手の条件に対して何らかの「妥協」をしたと回答する男性は45%、女性は実に60%に達する 16。しかし、その妥協を受け入れた人のうち、実に6割以上が「後悔していない」と回答している 16。 「結婚生活は妥協の連続。世の中の夫婦生活のほぼ半分は妥協で成り立っており、あとの半分を愛情で補うのか、嫌味で補填するのかにすぎない」という語り口に示されるように、妥協とは敗北ではなく、生身の他者と限られた生活資源を分け合うための「大人の現実的知恵」である 17

 

具体的な妥協の対象は、日々の暮らしの細部に及ぶ 18

  1. 生活習慣:食の味付け、睡眠サイクルのズレ、部屋の許容設定温度、衛生観念の些細な乖離 18
  2. お金への価値観:何に投資し、何を削るかという、人生の優先順位そのもののズレ 18
  3. 収入と役割の調整:共働きを維持するための家事労働の分担比率、不公平感の調整 2

共同生活を円滑に進めるためには、曖昧な「思いやり」という言葉に逃げるのではなく、家計運営や見えない家事を「ルール化」し、具体化することが有効である 2。都心で働く共働き夫婦の、健全な生活防衛を意識した家計予算のリアルな配分設計を以下に示す 2

 

予算項目

構成割合(目安)

支出額(手取り40万円のモデル)

生活者視点における運用のリアル

住居費

25%

100,000円

固定費の要。ここを抑えることが心のゆとりに直結する 2

食費

15%

60,000円

日常の活力。自炊と外食のバランスを可視化して管理 2

光熱・通信費

10%

40,000円

基本的なインフラ。個人の贅沢とは切り離して処理 2

日用品・保険

10%

40,000円

「買い出しの管理」という見えない家事コストを反映 2

交際・趣味

10%

40,000円

個人の財布として、互いに干渉しない聖域を必ず残す 2

子ども準備・教育

5%

20,000円

子どもを「持つ・持たない」の選択も含め、早期から準備 2

貯蓄・投資

20%

80,000円

先取り貯蓄を固定し、将来の経済的不安を排除する 2

予備費

5%

20,000円

急な家電の故障、冠婚葬祭、医療費等に対応するためのバッファ 2

この世帯運営において、「気づいた方が家事をやる」という曖昧なルールは長続きしない 2。ゴミ出し、トイレットペーパーの補充、提出物の管理といった「名前のない家事」を可視化し、「時間×得意×優先度」で役割を明確にし、必要に応じて時短家電を導入することこそが、感情の摩耗を防ぐ極めて実効的なアプローチとなる 2

 

心理学的ダイナミズム:愛着理論が解き明かす葛藤と関係修復の技法

夫婦関係の満足度を内側から支えるのは、法的な契約書ではなく、二人の間に流れる「アタッチメント(愛着)」の質である 19。多くの夫婦が直面する、出口の見えない衝突や冷え切った関係の背景には、幼少期からの養育関係を通じて形成された「愛着の傷(未解決の不安や恐れ)」が横たわっている 19

 

① ドーパミンからオキシトシンへの生化学的成熟

恋愛初期の「言わなくても分かり合える」という感覚は、脳内で過剰に分泌されるドーパミンが見せる一時的な「幻想」に過ぎず、この分泌は2〜3年で必ず収束する 19。長期的で安定した結婚生活を営むためには、脳内の報酬系を「オキシトシン(安らぎ、信頼、慈悲を司るホルモン)」を介した繋がりへとシフトさせなければならない 19。オキシトシンに基づく安定的なアタッチメントが機能し始めると、脳の仕組み自体が変化し、葛藤における過度な妥協を強いることなく、お互いへの自然なコンパッション(慈悲・思いやり)を持ち合いやすくなる 19

 

② 愛着スタイルがもたらす葛藤の泥沼

パートナーシップに影を落とす愛着スタイルは、主に以下のパターンで衝突を硬直化させる 19

  • 不安型アタッチメント:見捨てられる不安が強く、相手に過剰な承認や同一化を求める。満たされないと感情的に相手を責め立ててしまう 19
  • 回避型アタッチメント:親密さや心理的な距離の接近を恐れ、問題が生じると対話を拒絶し、殻に閉じこもることで自分を守ろうとする 19

葛藤が生じた際、多くの夫婦は「お前が心を閉ざすからだ」「君が感情的に責めるからだ」と原因を相手に求めがちだが、これは互いの愛着の傷が引き起こす相互作用(APIMモデル)に過ぎない 19。 なお、アジア圏の文化においては、葛藤が生じた際にも容易に離婚を選択せず、社会的・家族的関係を極力維持しようとする「関係焦点型コーピング(関係を維持するための認知的・行動的努力)」が強く見られる傾向にあり、夫婦はこの緊迫した状況をなんとか一緒に乗り越えようともがく特性を持っている 20

 

③ 安定型へと変容させる「3つの臨床的アプローチ」

心理学者ピーター・フォギナーが提唱したアプローチを夫婦関係に応用することで、回避型や不安型といった「愛着の傷」を持つパートナーであっても、後天的に「安定型」へと導くことが可能である 19

  1. パートナーの苦悩に共感する:怒りや沈黙の背後にある相手の「悲しみ」や「怯え」を、そのまま受け止める 19
  2. その苦悩を取り除くために実際に対処する:言葉だけでなく、相手が安心感を得られるような具体的な支援(抱擁、作業の分担、安全な空間の確保)を行う 19
  3. パートナーを「自分とは異なる心を持った主体」として認め、尊重する:相手を自分の都合の良い「モノ(道具)」として同一化するのではなく、完全に独立した心を持つ他者として尊重する 19

自己開示と、コンパッショネイト・マインド・トレーニング(CMT)の実践は、当事者自身の回避的な愛着を安定化させる 19。 しかし、もしもその傷が極めて深く、幼少期の虐待体験や複雑性PTSD、重篤なトラウマに由来する場合は、夫婦間だけで解決しようとせず、トラウマ専門家によるアプローチ(STAIR-NTなど)や、臨床心理士らのサポート、『愛着トラウマケアガイド: 共感と承認を超えて』(岩壁茂・工藤由佳 著)などの専門知に頼ることが、破綻を避ける賢明な選択となる 19

 

哲学的探求:自己と他者の相克を超えて

他者と寝食を共にし、生を重ねていくという事態は、哲学的には「自己と他者との終わりなき相克と超克」のプロセスに他ならない 21

① サルトルの「まなざし」と客体化の牢獄

ジャン=ポール・サルトルは、他者を「私の世界を脅かし、私の自由を侵害する存在」として捉えた 21。サルトルの『存在と無』で展開される「まなざし」の fenomenology によれば、私は他者から見つめられた瞬間、世界を自律的に解釈する「主体」から、他者の世界における「対象(モノ・客体)」へと一瞬にして転落させられる 21

この客体化への恥や不快感から、人間関係は相手を支配しようとする「サディズム」か、相手のまなざしに身を委ねてモノとして生きようとする「マゾヒズム」の闘争(主人と奴隷の闘争)に陥りやすい 22。 サルトルのパートナーであったシモーヌ・ド・ボーヴォワールは、この実存主義の地平から変奏し、「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」と喝破し、性役割という社会的な客体化の檻から主体性を取り戻すことの過酷さを提示した 22

 

② ブーバーの「我と汝」における出会い

マルティン・ブーバーは、他者を自分の利害や役割のために利用する「我とそれ(I-It)」の関係から脱し、何ら本質を固定できない相手をそれ自体として尊重する「我と汝(I-Thou)」の直接的関係こそが、真の関係であると説いた 22。相手を自分の「便利道具(それ)」として見なすことをやめ、「汝」として出会うこと自体が関係の目的となる 22

 

③ レヴィナスの「顔」と非対称な呼びかけ

エマニュエル・レヴィナスは、他者を自己の同一性の中に吸収し、消費し尽くす(例えば、パンを食べて栄養にするような)あらゆる全体性を拒絶する 23。レヴィナスが『全体性と無限』で提唱する他者の「顔(かお)」は、私の世界解釈や認識能力を遥かに超えて現れる、絶対的な超越性を持つ 22

レヴィナスは、無人の市場で果物やパン(モノ)を見ることと、そこに立つ店主(他者)の「顔」と出会うことの、質的な絶対的差異を指摘する 23。他者の「顔」は、私に対して「殺してはならない」「応答せよ」という根源的な呼びかけを常に発している 22。 ここにおける関係性は、ギブ&テイクの対等な関係ではなく、「他者からの呼びかけに対して、私が一方的に応える義務を負う」という、徹底的な非対称な応答責任から出発する 22

 

哲学者

核心概念

他者との関係における本質

結婚生活への臨床的射程

ヘーゲル

主人と奴隷の闘争 23

承認を求め合う、命をかけた闘争と疎外

どちらが家計や意思決定の主導権を握るかという主権争い 22

サルトル

まなざし・客体化 21

見られることで、自分の自由が侵害される恐怖

「ちゃんとした夫/妻」を演じるあまり、本来の自分(主体)を見失う不安 24

ブーバー

我と汝(I-Thou) 22

役割や利害関係を離れ、相手そのものと直接関わる

パートナーを「家事担当」「稼ぎ手」という手段(それ)ではなく、存在そのもの(汝)として受け止める 22

レヴィナス

顔(かお)・非対称な応答 22

同化も支配もできない超越的な存在からの呼びかけ

相手の都合や言動をこちらの枠組みで評価せず、ただ「応答し合う」倫理的関係の構築 22

 

サルトルの言う「まなざし」の客体化の地獄に囚われ、相手の目が怖くなって自分を押し殺してしまう状態から脱する唯一の道は、自分の内なるおそれや弱さを「信頼できる相手に言葉にして開示し、対話を試みる(呼格の関係)」ことである 24

相手を恐ろしい客体化の主体としてではなく、対話が可能な「顔を持った存在」として受け止め、お互いにおそれや不安を共有し合うこと 24。その小さな「応答責任」の引き受けから、相克の地獄は「共に生きる安全基地」へと反転を遂げる 24

 

宗教的精神性:神道と仏教が宿す「結び」と「縁」の本質

日本の伝統的な挙式スタイルである神前式と仏前式には、日常の契約関係を超えた、人知の及ばぬ大きな力への畏敬と信頼の精神が宿っている 26

 

① 神道における「結び(むすび)」:生命力の生成発露

「結び」という日本語の語源は、「ムス(生す=新たな生命を生み出す)」に由来するとされる 30。神道における「結び」とは、単なる人間同士の契約ではなく、男女が結びつくことで新たな生命や活力がこの世界に生み出され、万物が発展していく根源的な生命の創造エネルギー(むすひ)への参画を意味する 30

神前式は、徹底したお祓いから始まり、自らの真心を神に捧げる一連の肉体的な所作を通じて進行する 28

 

  • 参進の儀(さんしんのぎ):雅楽の音が響くなか、神職と巫女を先頭に、新郎新婦と親族が神の宿る社殿へと一歩一歩歩みを進める 28
  • 修祓の儀(しゅうばつのぎ):儀式の始まりに際し、神主が大麻(おおぬさ)を用いて新郎新婦や参列者を祓い清め、俗世の穢れを落とす 28
  • 祝詞奏上(のりとそうじょう):神主に導かれ、神様におふたりの結婚を公式に報告し、祝福を祈る 28
  • 三献の儀(さんこんのぎ):大・中・小の盃を用い、新郎新婦でお神酒を交互に飲み交わす「三々九度」 28。何度も同じ盃を交わすことで、目に見えない強固な「結び」を身体感覚に落とし込む 28
  • 玉串奉奠(たまぐしほうてん):自分自身を表すとされる榊の枝(玉串)を神前に捧げ、「自らの真心を神に捧げる」誓いを立てる 28
  • 親族杯の儀(しんぞくはいのぎ):両家の親族が一斉にお神酒をいただくことで、個人の結合を超えた「新たな家族の繋がり(結び)」を血肉化する 28

 

② 仏教における「因縁(いんねん)」:時空を超えた巡り合わせの肯定

仏教における結婚(仏前式)の本質は、「二人が巡り会えたことは、前世からの深遠な因縁(原因と条件)であり、ご先祖様の大いなる慈悲によるものである」と捉える、徹底的な「縁への感謝」にある 26。 仏教では「一度結婚した男女は、現世だけでなく来世まで連れ添う」という、時空を超えた深層の絆を誓う 27

仏前結婚式は、お寺の本堂という、死者と生者が交差する荘厳な空間で粛々と進行する 27

 

  • 敬白文朗読(けいはくぶんろうどく):仏様とご先祖様に対し、二人の結婚を報告し、巡り合わせてくれたご縁への深い感謝を伝える、最も厳粛な瞬間 27
  • 念珠授与(ねんじゅじゅよ):司婚を務める僧侶から、新郎新婦にそれぞれ念珠が授けられる 27。仏様から直接ご加護と「結縁(けちえん)」を授かる、仏前式で最も重要な儀式 27
  • 誓漿交歓(せいしょうこうかん):神前式の三々九度と同様に、新郎新婦が盃を交わし、夫婦としての永遠の契りを仏前に誓う 26
  • 指輪交換:仏教の経典『仏本行経』には、シッタルダ太子(釈尊)がヤショダラ姫に指輪を贈った記述があり、結婚する二人の永遠の絆の象徴として、仏前式でも古くから取り入れられている 26
  • 親族固めの杯・法話:両家が共にお神酒をいただき、最後に僧侶からの「法話」を聞くことで、生かされている存在としての自覚を深め、夫婦としての門出を祝福される 27

 

挙式形式

根本的な思想・宇宙観

最も重視される儀式行為

現代における精神的意義

神前式

「むすひ(産霊)」 30

天地万物を生成・発展させる、瑞々しい生命の創造力

三献の儀、玉串奉奠 28

盃を重ね、真心を榊に託して捧げる肉体性

自然や共同体との繋がりを再確認し、共に新しい生命の循環に参画する覚悟 28

仏前式

「因縁・結縁」 26

数え切れないご先祖様からの慈悲と、来世まで続く永遠の絆 27

敬白文朗読、念珠授与 27

仏とご先祖様へ感謝を捧げ、誓いの象徴を授かる

自分の存在が多くの先祖あってのものと自覚し、利己的な我執を離れて「生かされている縁」に感謝する 27

 

このように、日本の伝統的な挙式に流れる精神性は、結婚を単なる「個人の自己満足の契約」に矮小化させない 29

自分という存在が、大いなる生命の連鎖(神道)や、無数の時空を超えたご先祖様の慈悲の連鎖(仏教)のなかに生かされているという大いなる「安心感」と「謙虚さ」を、当事者たちの胸の奥深くに呼び覚ますのである 27

 

結論:不完全な他者と共に泥臭く生き抜くための実践哲学

日本の内閣府による意識調査(2021年)が示す通り、人々が結婚に求める最多の意義は「心安らげる場所である家庭を築くこと」(71.2%)であり、次いで「愛するパートナーと生涯を共に過ごすこと」(64.8%)である 15

しかし、ここで注目すべき厳然たるギャップは、女性は年齢を重ねるにつれ、「パートナーと生涯を共にする」というロマンチックな期待値を極めてドラスティックに低下させる、という冷徹な事実である 15

女性の方が長生きしやすいという現実的な予測や、老後の親族関係の引き受け、さらには介護や生存リスクを見据えたとき、女性は結婚生活に対して、甘い夢を排した極めて「現実的で実務的な防衛の目」を向けている 15

結婚生活において「心安らげる家庭(安全基地)」を構築するためには、きれい事ではない、泥臭く具体的な「3つの実務的生存戦略」を日々の生活へ実装していく必要がある 2

 

① 感情に頼らない「見えない家事・家計の可視化」

「愛があれば言わなくても分かる」というのは、ドーパミンがもたらす最大の錯覚である 2。家事労働や家計の負担割合は、すべて具体的なタスクとしてスプレッドシートやカレンダーに落とし込み、「可視化」し、週1回10分のメンテナンスを行うこと 2。お互いの自由になる「個人財布」の領域を相互に侵害しないようにシステムを構築することが、価値観の違いによる不要な衝突を避ける防壁となる 2

 

② 愛着スタイルを意識した「コンパッション(慈悲)のトレーニング」

衝突が起きたとき、相手を「冷淡だ」「感情的だ」とラベリングするのをやめる 19。その行動は、相手の「愛着の傷(見捨てられ不安、あるいは親密さへの恐れ)」から生じる防衛反応に過ぎないと客観的に理解すること 19。 ピーター・フォギナーのアプローチに則り、「(1)相手の恐怖に共感し、(2)安心を与える対処を実際に行い、(3)自分とは異なる心を持った独立した主体として認める」という訓練を継続することで、脳をオキシトシン優位の「安定型」へと変容させていくことができる 19

 

③ サルトルからレヴィナスへの実存的転換(対話の習慣化)

パートナーの目を「私を監視し、評価し、客体化する恐ろしいまなざし」にしてはならない 21。自分の中に湧き上がる不安や恥、見栄を、そのまま相手に打ち明け、共有してみること 24。 お互いを自分の都合の良い「それ(道具)」として消費するのをやめ、決して同化できない、思い通りにならない超越的な「顔」を持った他者(汝)として受け入れ、非対称な応答責任を果たし続けること 22。この終わりのない「応答(対話)」の繰り返しの中にこそ、倫理的な夫婦関係が立ち上がる 24

結婚とは、すでに出来上がった「幸せのパッケージ」を買うことではない。それは、生まれも育ちも異なる不完全な二人の人間が、神道における「結び」のごとき瑞々しい生命の力を信じ、仏教における「因縁」のごとき不思議な巡り合わせに感謝しながら、日々の泥臭い生活の現場で共にもがき、支え合い、自分たちだけの「本当の居場所」を手探りで創り出していく、尊くも不器用な、生涯をかけた実践哲学そのものなのである 1

 

引用文献

  1. 結婚する意味とは?現代の価値観や理想のパートナー探しの方法を解説,  https://www.nma-sc.co.jp/3863/
  2. 【現代版】結婚とは何か?意味がわからない人へ、定義と価値を解説,  https://media.kekkonjoho.net/kekkonsoudanjo/post-1424/
  3. 少子化に関する基本的考え方について-人口減少社会,  https://www.mhlw.go.jp/www1/shingi/s1027-1.html
  4. 結婚観とは?昔と今の価値観の違いとすり合わせ方法を解説,  https://www.tgn.co.jp/wedding/column/article-346/
  5. 明治前・中期における婚姻法の変遷,  https://matsuyama-u-r.repo.nii.ac.jp/record/2000057/files/%E6%9D%BE%E5%A4%A7%E8%AB%96%E9%9B%8634%E5%B7%BB6%E5%8F%B7-%E9%AB%98%E5%B6%8B.pdf
  6. 日本の結婚制度のはじまり。歴史とともに見る - AFFLUX |愛する人へ贈るゆびわ言葉®がついた婚約・結婚指輪,  https://afflux.jp/article/weddingnews_1623/
  7. 結婚の形態の歴史|婚礼の知識|冠婚葬祭の知識|結婚式・ご葬儀・互助会のユウベルグループ(平安閣)公式サイト|広島・東広島・三次・庄原・福山・鳥取・米子・島根・松江・福岡・熊本・八代・鹿児島・霧島,  http://u-b.jp/knowledge/bridal/yomi-konrei-3.html
  8. 『源氏物語』と平安時代の婿取婚,  https://teapot.lib.ocha.ac.jp/record/41561/files/4_9-17.pdf
  9. 【高校日本史B】「生活(婚姻の形態)」 | 映像授業のTry IT (トライイット),  https://www.try-it.jp/chapters-13340/lessons-13443/point-2/
  10. 芥川龍之介 - Wikipedia,  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%A5%E5%B7%9D%E9%BE%8D%E4%B9%8B%E4%BB%8B
  11. 未婚化を推し進めてきた 2つの力,  https://www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/data/pdf/19513802.pdf
  12. なぜ最近の若者は結婚しないのか?(1)家族社会学が明らかにしてきた未婚化の原因 - EN-ICHI,  https://ippjapan.org/en_ichi/archives/1170
  13. いかにして少子化は 起こったのか。 データが物語る新事実 - 筒井 ...,  https://www.ritsumei.ac.jp/gss/research-stories/issue01/story01.html
  14. 少子化時代の結婚観に関する研究,  http://www.hilife.or.jp/pdf/20013.pdf
  15. いまどきの「結婚の目的・意義」 ~分担にこだわらない柔軟な ...,  https://www.dlri.co.jp/report/ld/333637.html
  16. 婚活 妥協して結婚は後悔する?幸せな結婚生活を送るための「妥協点」の決め方 - ツヴァイ,  https://www.zwei.com/times/kts124
  17. 【言ってもムダ!】妻が夫に関して妥協していること5選 - マイナビ子育て,  https://kosodate.mynavi.jp/articles/9706
  18. 結婚=妥協?!~夫婦生活編①~ | 名古屋の結婚相談所プリヴェールがおくる婚活コラム,  https://primvere-m.com/cat01/884.html
  19. 愛着スタイルに向き合うことが、なぜ夫婦関係を改善させるのか ...,  https://note.com/atsuatsu/n/n2a9168f91f1e
  20. 夫婦関係における愛着傾向及び対人ストレスコーピングが 関係満足度に及ぼす影響,  https://www.i-repository.net/il/user_contents/02/G0000031Repository/gakuironbun/000006554.pdf
  21. Title サルトルにおける他者論の可能性 Author(s) 水野, 浩二 - huscap,  https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/repo/huscap/all/48029/38_1-17.pdf
  22. 他者と如何に関係すべきか - 安田女子大学リポジトリ,  https://yasuda-u.repo.nii.ac.jp/record/575/files/24323772026005.pdf
  23. 誰かエマニュエル・レヴィナスの哲学における「他者」の概念を説明してくれませんか? - Reddit,  https://www.reddit.com/r/askphilosophy/comments/4n51cn/can_someone_explain_to_me_the_concept_of_other/?tl=ja
  24. 他人の目が気になる?哲学者サルトルとレヴィナスが解き明かす ...,  https://note.com/philosophers0222/n/nc0837fc5b7a9
  25. サルトルとレヴィナスにおける言語と主体の問題 - 立命館大学,  https://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/hss/book/pdf/no94_06.pdf
  26. 結婚の儀 - 圓應寺,  https://www.ennouji.or.jp/buddhist/married/marriage.html
  27. 仏前式とは?お寺で行う結婚式の流れや披露宴について、魅力や注意点なども解説 - ブラス,  https://brass.ne.jp/media/buddhist-style/
  28. 日本ならではの結びの契り、「神前式」と「仏前式」の違い | 【公式】平安神宮会館 | 京都の結婚式場・ウエディング,  https://www.heianjingu.com/wedding/column/shinzen_butuzen_tigai/
  29. 仏前式ってどんな結婚式?「因縁」という仏教の教え - ウエディングパーク,  https://www.weddingpark.net/osusume/style_butsuzen/feature/1/
  30. みんな大好き「縁結び」の不思議〜そもそも縁(えん)って何? - ハッケン!ジャパン,  https://hakken-japan.com/columns/enmusubi/